赦しは常に自分自身への贈り物

こんにちは
佳代子ですピンク薔薇

―序章―

1880年代、テキサスに金持ちの牧場主がいた。
とくにスピリチュアルな人間というわけではないが、金儲けがとてもうまくて、
隣人たちはこの二つには必ずしも関係がないのかもしれぬ、と思っていた。

彼は自分ではクリスチャンだと言っていたが、
現世における行動はその主張を疑わしく思わせるものだった。

ある日、食べるもののない貧しい農民が牧場に忍び込み、
家族に食べさせようとニワトリを一羽盗んだ。

しかし、牧童たちに捕らえられ、牧場主の前に引き出された。

牧場主に言えることはいくらでもあったが、
彼はただこう言っただけだった。

「吊るせ!そうすればものの道理がわかるだろう」


それから二年後、メキシコから来た男が牧場に侵入した。

極貧の彼は新しい人生を見つけたかった。
だが牧童に見つけられ、ボスの前に引き出された。
侵入者をじろじろ見た牧場主が言ったのはこれだけだった。

「吊るせ!そうすればものの道理がわかるだろう」


金持ちの牧場主の生涯には似たようなエピソードがたくさんあった。

どの場合にも彼は決して相手の身になろうとはせず、
ただ怒りに任せて糾弾し、たいていはこの言葉でしめくくった。

「吊るせ!そうすればものの道理がわかるだろう」


ある晩、牧場主の肉体は死に、彼は天国の真珠色の門へと上っていった。

牧場主は誰にも気づかれずにこっそり門を通ろうとした。

しかし彼の前に聖ペテロが現れて言った。

「お待ちなさい。イエスさまがあなたと話したいとおっしゃっておられる」
牧場主は戦(おのの)き、生きていたあいだにしたことのいくつかを思い出した。

いま、彼はイエスご自身の審判を受けようとしている!
牧場主はとつぜんがたがた震えだした。

イエスが現れ、ゆっくりと牧場主に歩み寄って彼の目をひたと見つめ、
そして聖ペテロに言った。
「赦してやりなさい。そうすればものの道理がわかるだろう」

ゲイリー・R・レナード:著
「不死というあなたの現実」より

6年前、初めてこの本を手にした時には、
あまりピンと来なかった
序章に書かれていた内容ですが、

諦めずにクリアニングや赦しを
繰り返し行ってきたおかげで、

自然と理解できるようになっていました。

また、本当の意味での
「赦し」にたどり着くまでに、
私も色んな経験や
新たな悩みを抱えてきました。


信じて何度も繰り返し行うことは、
とっても大切なことなんですね。

更に、この書籍に登場する
アーテンが教えてくれている一文を抜粋しますね。

アーテン:繰り返しはぜんぜんかまわないだけでなく、必要でもある。
それどころか、不可欠なんだよ。
きみも「コース」のパラグラフを読んで、
前にも読んだことがあるのに、まるで初めて目にするような気持ちがしたことがあるはずだ。


『神の使者』を読む人たちも同じ体験をするだろう。

この言葉は前にも読んだのに
理解がまるで違ったレベルに進んだと感じるはずだ。


言葉は変わっていないが、読み手が変わったんだよ。

エゴがまた少し解体され、
違った場所からその言葉を見るようになった。

それに繰り返しは考え方を
学ぶために重要なだけでなく、赦しの実践のうえでも大切なんだ。 


ときには同じことを何度も繰り返して
赦しているように感じるかもしれない。


一緒に働いている人たちを赦す。
翌日、職場に戻るとまたその人たちがいる。


たとえ同じことを赦しているように見えても、
それもまた幻想だ。


ほんとうに起こっているのは
無意識の罪悪感が
さらに心の表面に浮かび上がってきた
ということで、

それは赦すことによって
罪悪感を手放し、取り除くチャンスなんだよ。

私も最初の頃(たぶん3、4年)は、
赦しを行っても目の前の風景が
変わらず、焦ったりもしました。


まぁ赦しというものを
正しく理解できていなかったので、
そのことが一番の原因なのですが、

やはり心象風景も変わらないので、
手応えを感じることができず、
本気で取り掛かっていなかった気がします。

時には、赦しに手応えを感じることができない
自分を責めることも。。。

ですが、一度手応えを感じると、
クリアニングや赦しが楽しくて楽しくて。


赦しは常に自分自身への贈り物であって、
赦すと思っている相手への贈り物ではない
ということが体験として腑に落ちた時って、

今までとは違う次元に繋がる、
新しい扉を開けた瞬間なんですね。。。

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お読みいただきありがとうございます。
みなさまに幸運のエネルギーが届きますように…

愛を込めて♡
佳代子


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